おじいちゃん、ケンカチョウチャクってなに?
目次
金持ちじいさん、貧乏じいさん
私が生まれたとき、祖父は58歳
ちょうど、今の私の年齢より少し年を取った還暦前でした
我が家は三世代同居で、私が物心ついた3歳ぐらいの時、すでに祖父はリタイヤして、全く働いていませんでした
おそらく、戦後、アパートと貸家の不動産経営を始めると同時に、それのみを家業としたようです
近所では評判の頑固じいさんの祖父も、孫の私は目の中に入れてもいいほどかわいかったのか、毎日、一緒に遊んでくれました
祖父は、貧しい家に育ったのか、最終学歴は小卒でしたが、商売のセンスがあり、戦前までにある程度の資産を築いたようです
また、運よく日本国内で終戦を向かえたので、戦争を無事切り抜けました
おそらく、戦時中も国内で商売に励んでいたのでしょう
一方、母方の祖父は、戦死のため、私は会ったことがないのですが、学者肌の非常にまじめな方だったようです
母方の祖母は、田舎の庄屋の娘で、明治生まれながら、東京の女学校を卒業しています
こちらの親戚筋には地方の国立大学卒が多く、地元で議員や市長になった人もいます
両方の親戚の人種の違いは、子供の自分でもひしひしと感じていました
このように、私は、2つのまったく正反対な家系の親戚に影響を受けながら成長しました
こじつけではありますが、「金持ち父さん、貧乏父さん」ならぬ「金持ちじいさん、貧乏じいさん」のような2つの家の影響を受けながらに育ったのでした
大家の子 大家の子
さて、私が物心ついたころ、祖父に質問をしました
「おじいちゃんは、なんで働いていないの?」
祖父は
「別にいいんだよ。アパートがあるから」
と答えました
最初は何のことかはわかりませんでした
小さいころ、自分はM78星雲の彼方からきたウルトラマンの親戚だと真剣に信じていました
しかし、祖父のもとで成長するうちに、自分は日本という国の、東京の、城南の、〇×区の、大家さんをやっている家の子供なんだという意識が少しずつ芽生えてきました
「アパートがあれば、働かなくていいんだ。なんかふしぎだなぁ・・・」なんて考えることも多かったです
なんでうちにはアパートがあって、友達のA君のうちにはアパートがないんだろう?なんてことも考えました
そして、何よりも自分が大家の子であることを意識した理由は、
・自分の家
・4棟のアパート
・3軒の借家
・2軒の借地
が、330坪の1筆の土地(1反?)の中にあり、我が家を中心に小さな町、小さなコミュニティーが出来上がっていたからです
その中には、小学校のクラスメートもいて、ちょっと微妙な関係だったりしました
厳格な母は、うちは大家さんだからと言って、私がアパートの子供たちと遊ぶのを、制限したりもしました
子供にとってはちょっと厳しい言いつけでした
金持ちじいさんの教え 金持ちじいさんの教え
私が幼稚園のころから、祖父は私にアパート経営に関するいろいろな話をしてくれるようになりました
今回は、その中でも、今の私にとって最も意味深い言葉(教え)を紹介します
こんな感じです
祖父「なぁ、○○ちゃん(テリー隊長のこと)、アパートっていうのは、「減価償却が終わってからがいいんだよ」」
隊長「?、おじいちゃん、ケンカチョウチャクってなに?」
祖父「ケンカチョウチャクじゃないけど、それが終わるととっても「いいこと」があるんだよ」
隊長「そうなんだぁ?、おじいちゃん、それが早く終わるといいね!」
今思えば、幼稚園児相手に何を話してるんだ、このじいさんは?ということになりますが、流石に、意味は分からなくとも、
減価償却が終わると、
とても「いいこと」があるんだ
と何度も何度もつぶやかれれば、門前の小僧のように、いつの間にか言葉(教え)を記憶してしまいます
しかし、正直、その意味がわかったのは、それから約30年ぐらい後のことでした
減価償却が終わると「いいこと」が?? 減価償却が終わると「いいこと」が??
2006年、アメリカから帰国した私は、本格的サラリーマン大家のスタートとして、都内のマンション一棟を購入するか、検討を始めました
まずは、自作のエクセルワークシートを使って物件の投資シミュレーションを始めました
すぐに、私は、不動産投資において減価償却がどれだけ重要かということに気が付きます
すると、祖父から聞かされていた
減価償却が終わると、
とても「いいこと」があるんだよ
という言葉が頭に浮かびました
減価償却とは、耐用年数に応じて経費として配分されるものです
例えば、投資用の建物を1000万円で購入し、耐用年数が10年残っていれば1000÷10=100で10年間、毎年100万円の減価償却費が経費化できます
であれば、減価償却が終わればその分の経費がなくって
所得が増加→税金も増加!
じゃない?最悪!!
おじいちゃん、「いいこと」なんてないよ!、なんか違うんじゃないの!?
と思いながら、キャッシュフロー計算書を見ると
なんだ、これは!!
手取り(キャッシュフロー)
が急激に増えている!!
そうなんです、その時、投資初心者の私は、減価償却が終われば、経費が減って、CFはとんでもないことになるという先入観を持っていたのでした
しかし、実際は、全く逆でした
減価償却が終わると、
とても「いいこと」があるんだよ
その通りなんです!
ローンの返済が終わって、
手取りが急激に増加する
ことに、その時、はじめて気が付いたんです
当たり前といえば、当たり前なんですが、初心者には「え!こんなに儲かっていいの!?」と衝撃を受けたのを覚えています
だって、実家のボロアパート、全部、減価償却終わっても現役だったんです!
では、なぜ、祖父の教えが私の投資シミュレーションでも再現されたか?
それは、ローンの期限は耐用年数に合わせる(減価償却が終わるまで)の原則は、今も昔も変わらなかったからです
30年の時を経て、祖父が私に言い聞かせていた言葉(教え)の意味が分かった瞬間でした
不動産投資と大家業 不動産投資と大家業
祖父は、不動産投資の資金を地元の信用金庫からの融資に頼っていました
そして、戦後に建てたバラックから、融資を使い、昭和30年~40年代にアパートを再建築しました
元利均等であれば、ローンの終盤、完済前が金銭的に一番きついときです
おそらく、私が幼稚園生のころ、祖父も減価償却が終わる=ローンを完済する日を、今か今かと待っていたのでしょう
そのつらさを紛らすために、わからないとは知っていながら、幼稚園児の孫相手に、思わず、何度もつぶやいてしまったんだと思います
減価償却が終わると、
とても「いいこと」があるんだよ
今はやりの耐用年数越えのローン、まして、築古物件を耐用年数越えのローンで買って、将来売却なんて投資手法をみて、祖父はなんて言うんでしょうね?
オレもやりたかった!かもしれませんが
そして、
祖父は1998年に亡くなりました、戦後53年目のことです
その時、祖父が戦後立てたアパートと借家は、築40年ぐらいになり、相当ぼろくなっていましたが、いたるところ補修を加えられながも、現役で満室経営を続けていました
結果、祖父は、都内の新築を、朽ちるまで持つ不動産投資戦略を完了し、何倍にも値上がりした城南の土地を子孫に残したのでした
そして、同時にとてつもない額の現金や株を相続資産として残しました
なんでもっと不動産を買って、相続税対策をしなかったのか?
単純にそういう対策とか、小手先の技が大嫌いだったのかもしれません
おかげで平成の不動産バブル(1988-1992)、我が家は全く投資をおこなわず無傷でした
正直、銀行の投資の誘いを断るのは大変でした
なーんて、きれいごとをいいましたが、すでに祖父は、当時の
・所得税50%
・住民税10%
・事業税5%
合計65%を税金として払っていて、これ以上、不動産所得を増やすよりは、当時、10%の分離課税であった株や定期預金で資産を運用した方がいいと思っていただけかもしれません
そして次は自分の番 そして次は自分の番
私もアラフィフになり、これから数年で
減価償却終了(ローン完済)という「いいこと」
が始まります
それは、同時にこれから数年がいちばんつらい時になるわけですが、その先にいいことも待っています
私はまだ孫はいませんが、とりあえず四代目大家の子供たちに、この祖父の教えを伝えていおきたいと考えています
次回は、祖父のめざした不動産投資、その神髄に迫ります
減価償却が終わるといいことがある
の本当の意味も明かされます
「サラリーマン大家道」、まだまだ続きます
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました